あの頃のこと
醤油豆と言えば島津田四郎君、umieでの月一ライブ、島津田四郎アワーでは毎回ステージ上のマイクにぶら下げている。その島津田四郎君が醤油豆を持って事務所に来てくれました。先日開催した島津田四郎10回記念、サマースペシャルアワーの反省会と今後について話合った。僕の意見、みんなの意見、そして田四郎君自身の考えなどざっくばらんに話し合った。今月の予告編はフットサルのユニフォーム姿、首にタオルといい感じです。 月曜日には予告編をアップしますので見てください。 |
最近の僕はいろんなところで懐かしい人に出会う、仕事関係、テニス仲間などあの頃の人たちと出会う。僕のあの頃とは、MACが地方にも導入されだし、業界のシステム、仕事の流れが変わろうとしていた時のことです。バブル崩壊後の混沌とした時代と広告制作、デザイン業界にMACという新しい技術。手作業から電子化へ、さらにコンピュータ化の波が押し寄せてきていたあの頃。 僕がMACを導入したのは今から11、12年前のこと、ひとりで事務所を構えたときだから、もう一昔まえのこと。かなり遅かったと思う。僕は今でもMACを触らないでいる。当時から僕はディレクションを中心にしていたこと、MACに使われたくなかったこと、だからMACを使わないと決めていた。何人かは僕と同じように使わないと宣言していたが時代の波と便利さ、そしてMACという道具が無ければ成り立たなくなってきて皆やり始めた。 デザイン関係の下請けさんなどはそんな時代に翻弄されていた。 価格の低下、文字を打つ作業はデザイナーの仕事の領域になってしまったため、写真の加工、紙や画材もいらなくなった。手仕事、技術職が時間給へと変わってしまったのです。 デザイナーは便利さと引き換えに、価格の低下、仕事のスピード、作業量が増えたのだ。 それは今でも変わらない。 今日、そんなあの頃の時代、良くして貰ったMさんの奥さんにばったり会った。仕事を辞め、今は他の仕事をしているという。いい時、悪い時はめぐり、巡っていく。人もまためぐり会える。 懐かしさと、当時の険しい顔は消えて、Mさんの奥さんの顔はとても若々しく柔らかだった。 なぜ、umieなのかを説明する時に僕はあの頃のことを語らずにはできない、 僕もその中にいたひとりなのだから・・・。 |