僕のデザイン生活 VOL.2
21歳で地元の広告代理店の制作に何とかもぐりこんだ僕は、先輩たちの筆洗いをしたり、当時は手描き、レタリングなんて言葉もあった。写植文字といって一文字づつ写植機で打っていたが、その一文字、一文字をカッターで切り、文字詰めをする先輩をみて凄いと思ったり、右も左も分からないまま日々を過ごしていた。 その頃は地元の商店街などの仕事が多かったが、丸亀町商店街など華やかな時代だったと思う。 年末になるとクリスマス、正月の飾り付けに借り出され、全社員が真夜中に作業をしていた。その当時の高松の冬は、今と比べるとかなり寒かったように思う。僕たちも女性用のタイツを履いたりして防寒していたが、思い返せば滑稽でした。新聞広告、チラシ、看板など、この頃の経験が後になって役立つなんて思ってもいない頃でした。印刷物も4色カラーではなく、ツートン2色を掛け合わせて3色のような色をだしたりしていた。 そんなこんなで平和なゆるやかな僕のデザイン生活は、25〜26歳ぐらいまで続く。昭和50年代、良き時代であった。街にはユーミン、アリスなど今で言う青春フォークが流れていた。 |
こうして過去を振り返ることが多くなりました。人間の記憶はいいことしか残らないようにできているのか、いい記憶ばかりが蘇ってきます。時間のスピード、情報量など、今とは比べ物にならないゆるやかな時代でした。 27歳、僕のデザイン生活に変化が起きていく・・・。 |